細野稔人
美術展のタイトルとしてはちょっと奇抜なタイトルですね。私もこのタイトルを目にしたとき強い違和感をもちましたが、少し時間がたつにつれて今日的なシャレた良いタイトルと納得しました。
さてこの展覧会の成り立ちについて少し説明したいと思います。私達美術家があの華やかな時がすぎてから、市場の輝きを失ってから、団体展に出品する作家達と個展で活動するグループ、そして若いアーチストは若い人達でと、なんとなく自然に三つのグループに住みわけが出来ていると云う現状ではないでしょうか。
私は戦後のあの激しく芸術論をたたかわせた時代に育ったので、この三つのグループを一緒にした展覧会を開催してみたいと願っていました。そこに何か新しいアートの熱気が生れてほしいと云う希望をもって…。この考え方と松永氏の「さいたま美術展<創発>プロジェクト」の考え方の共通点をすりあわせて構成されたのがこの会だと私は理解しています。それと今回は私の《傘寿を祝って》と云うことがもう一つのメーンにとなり、この意味で参加いただきました方々に心より、この場をおかりして厚く御礼申し上げます。
今回、それぞれはじめて出会ったメンバーなので連係不足なところもありましたが、なんとか克服出来たと思っています。また楽しかったこと、良き収穫もありました。
はじめて出会った作家達との交流、そしてオープンスペースで会場が明るくのびのびとしていたこと。最もうれしく思ったことは、この様なシステム、スタイルの展覧会がこの美術館でははじめてのこともあって、来館者が一堂にいろんなスタイルの作品をみることが出来たことをとてもよろこんで下さったことでしょう。これはすなわち来館者がこのようなスタイルの展覧会を待ちのぞんで居られたからのことであり、「はじめてこの美術館に入ったのよ!!とても楽しかったわ」と云って下さったお客様が多かったこと…。「私も参加したい」と云う市内の人達、こうしたことは私達の大きなはげみとなりました。
オープンの前に、あの有名な大アマゾン川の支流を思い出しました。合流点の都市マナウスから、ネグロ川とソリモンエス川の白と黒の水がなかなか混ざり合わずに十数km流れてゆくように、この三つのグループの作品が混ざらないまま河口へと流れて行くようになることも覚悟のスタートでした。
展覧会は出品作家と来館者、そして美術館の対応、この三つがしっかりと噛み合ってこそ成立するのだと私は考えています。
最後となりましたが、ご協力いただきました皆様方に厚く御礼申し上げます。
また どこかでお会いしましょう。